コトキロクーShukadiary

今思うコト、日々のキロク

宿題を大量に出す先生、代行業者に頼む保護者。その間にいる子供はどう思っているのだろう?

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もうすぐ冬休みが始まります。
夏休みや冬休みといった長期の休みでいつも思うのは、宿題のこと。「出しすぎだ」と思っている親御さんも多いと思います。

 

夏休みや冬休みって、いつから宿題地獄になってしまったのでしょう?
自分が子供のときも、確かに宿題はありました。でも記憶はあいまいだけど、ここまで多かったかな?と思ってしまいます。

shuka-notebook.com

 

息子の場合も正直多いなぁとは思っていますが、おそらくほかと比べるとすごく少ない方です。
(不登校になったし、冬休みの宿題のことも考えなければならないな・・・)

 

今年の夏、フリマアプリで読書感想文が出品されていたことが議論を呼んだのは記憶に新しいかと思います。
多くの意見は否定的なものでしたが、私が上記のブログを更新したとき、Twitter上でこのような意見をいただきました。

 

こんなこと書いていたって、どうせ何も変わらないんだからムダ。
私は子供のためにもさっさと代行業者に頼んで、夏休みは子供と学校の勉強以外のことで楽しく過ごします。

 

間違っているようで、間違っていないんです。
子供の負担を軽減するという意味では、それも親心なのだと思います。ただ。
「どうせムダ」は言葉を変えれば「自分さえ良ければいい」ということで。
他人のことをとやかく言う、言われる筋合いもない。でも私にとっては、それが子供となると話は別で。

親が宿題を代行業者に頼んだとして、喜ぶ子供はもちろんいます。「宿題やらなくていいんだ!」って。
でも、逆にものすごい罪悪感を持ってしまう子供もいるわけで。自分の力でやっていない宿題を提出することが、ものすごく後ろめたい気持ちになるかもしれない。

 

例えば代行業者に頼んだ宿題を、学校の先生にものすごくほめられたとしたら。子供はどんな気持ちでしょうか?心から喜べますか?
ウソのつけない子供は正直に言ってしまうかもしれない。ちなみに、私の息子はなんでも真面目に受け取ってしまうので、私が代行業者に頼んだらずっと気にして辛い気持ちになると思います。

 

 

宿題はおおよそ全員一律のものが出されますが、簡単な子もいれば難しい子もいて。でも一律で出すことはずーっと昔から変わっていないわけです。
ノート1冊分英語の教科書を書き写すという宿題が、娘の時にありました。こういうのも、得意な子もいれば苦手な子もいて、反復学習が合う子もいれば合わない子もいて。

 

こうして一律で出してしまうこと自体が、教育格差を生んでいるような気もして。子供が塾へ通うのが当たり前になってしまったのも、こうした一斉指導では賄えないからではないでしょうか。そして塾に通えない子供はどんどん置いていかれる。

 

学校の先生は子供のためにと宿題を大量に出し、子供の負担が多くなり、親が子供のためにと代行業者に頼んだり、手伝う。

 

結局は、一人一人に合った勉強方法を一人一人に指導するということができない。それはなぜかというと、先生の負担が多いからで。(たくさん出せばいいと思っている先生がいないとは言えませんが)

 

一斉指導の難しいところ・・・ずっと言っていますが、一クラスをもっと少人数にして、子供一人一人に対応できなければ学校の先生も子供も負担が増えるだけだと思うんです。(先生の適性もあるかもしれないけど)
ここを変えなければ、宿題の問題もなくならない。でも、あきらめることはしたくない。

 

こうして書いてもムダなのかもしれない。直接学校に言っても、そうそう変わるものでもありません。でも、「自分さえ良ければいい」では変えるきっかけすら作ることができない。そう思うと、書かずにはいられません。

 

どうしてこんなことを書いたかというと・・・先日Twitterで代行業者にフォローされまして(笑)
そのアカウントを見てものすごくモヤモヤっとしてしまって。こんな商売が成り立ってしまうことに。値段を見て「これが仕事として成り立ってしまうんだなぁ」と、なんとも言えない気持ちになってしまいました。

 

shuka-diary.hatenablog.com

 

ここにも書いていますが、先生が大量に宿題を出すことも、保護者が宿題を代行業者に頼むのも、「良かれと思って」のことかもしれない。
でも一度、その間に挟まれている子供の気持ちを考えてみてほしいなと、思います。

 

「それが当たり前なのだから仕方ない」で済ませないでほしいなと、思います。